岡本信彦『Happiece』回収騒ぎについて思うこと-株式会社ランティスについての雑感
ああ、AD-LIVE大阪公演の直前にこんなニュースを目にしてしまうこと自体がとてもつらい……
岡本信彦1stフルアルバム『Happiece』収録内容不備のお知らせとお詫び | News | Lantis web site
岡本信彦さん「Happiece」収録「僕らのカタストロフィ」につきまして | News | Lantis web site
平成28年10月26日に発売いたしました岡本信彦さんの1st Full Album「Happiece」に収録されている「僕らのカタストロフィ」が、すでに発表されています鈴村健一さんの楽曲「ひとつ」と同作曲家による同楽曲であるということが発覚いたしました。
経緯につきましては、すでに楽曲が存在しているにも関わらず、CD化がされていなかったことが理由で弊社が正式な楽曲登録を行わなかったため、未発表楽曲という扱いで岡本信彦さんのアルバム制作課程*1の中で同楽曲が提案され収録されたという状況です。
メーカーである弊社の楽曲登録の不備、管理不行き届きにより、このような事態を起こしました事に関して、鈴村健一さん、岡本信彦さんはじめ、作品を楽しみにお待ちいただいておりましたファンの皆様及び関係者の皆様に多大なご迷惑をお掛けする事態となりましたことを深くお詫び申し上げます。
経緯については引用部でそれなりに説明されていると思うので、これ以上を語る必要はないと思います。
(追記)そもそも、楽曲「ひとつ」の権利関係がどのような構造になっているかも不明*2で、楽曲の再使用が権利的な意味で妥当だったのかどうか、判断できる材料はないと考えます。また、作曲(「僕らのカタストロフィ」においては作詞も担当)の倉内達矢さんが、当該楽曲に対してどのような認識だったかも定かではありません。
(さらに追記)Twitterでいくつかの誤解を見かけたので追記しておきます。
ここで話題に上がっている楽曲「ひとつ」は、アニメ『ヒカルの碁』のキャラクターソングである「ひとつ」(伊角慎一郎(CV.鈴村健一)、作詞:藤林聖子、作曲:住吉中)とは異なる楽曲です。以下、こちらを指す場合は【伊角名義】とします。
鈴村健一名義の「ひとつ」は、〈Live Tour 2014 VESSEL〉2014/09/20 香川・高松オリーブホール公演で初披露され、ツアー全9公演、〈満天LIVE 2015 luna〉および〈sol〉、〈満天LIVE2016〉の2DAYSで披露されたものです。2014年ツアーのDVD/Blu-ray、満天LIVE2015のDVD/Blu-rayにのみ収録されています。CD音源化はされておらず、また、「Original Entertainment Paradise(通称:おれパラ)」等の対バン・フェス系のライブでも歌われたことはありません。ソロライブでのみ(しかも現時点ではソロライブでは例外なく)歌唱されてきました。作詞を担当したのは鈴村健一本人であることが、ツアー中のMCその他で語られています。
(以上追記終了)
ここで触れておきたいのは、株式会社ランティスが自社の所属アーティスト「鈴村健一」に対して、特に2014年近辺に何を起こしてきたか、という話です。
2014年、3rdフルアルバム『VESSEL』発売時、こんなことがありました。
鈴村健一「VESSEL」商品封入のライブ先行チラシにつきまして | News | Lantis web site (リンク先本文削除済み?)
鈴村健一「VESSEL」商品封入ライブ先行チラシ当落結果、入金期間変更のお知らせ | News | Lantis web site
封入された先行申し込み用のチラシの一部に、シリアル番号が印字されないものがあったとのこと。
そして、その『VESSEL』ツアーのDVD/Blu-rayでは……
4月15日発売 鈴村健一「Live Tour2014 VESSEL」BD/DVD INDEX表記誤植のお知らせとお詫び | News | Lantis web site
鈴村健一「Live Tour2014 VESSEL」BD/DVDの商品に関しまして、
バックジャケットのINDEXに不備があることが判明いたしました。
そしてそして、まさにそのVESSELツアーで初めて使用された「ひとつ」に関する楽曲管理ミス……。
さすがに3件も重なってくると、2014年近辺での鈴村健一さんに対する扱いがよっぽどずさんだった印象がぬぐえません。
「手を抜くな!」とか、「アーティストをバカにしてる!」とか、そういう批判めいた話にはすべきではないと思いますし、私自身、したくもありません。どんな人も、どんな組織も、やらかしてしまう時はあるものだという立場に私は立ちたいです……たとえそれが良くないこと、組織として本来ありえない大ミスであったとしてもです。
一方で、このようなミスが3件も*3重なるというのは、〈スタッフが相互に仕事をチェックしフォローし合うという体制がランティスという会社には存在しない〉という、ひとつの証拠のように私には思えてなりません。
こうして過去のミスがきわめて手痛い形で発覚した以上、2014年当時の、必要であればそれ以前までさかのぼり、次なるミスがないよう、然るべき検証と対処を行ってほしい、と、切に願います。
コミックマーケット、C90が無事終了という話、そしてC91へ続く、続き続ける
一部の私たちは時々忘れそうになるけれど、コミックマーケットとは二次創作の場ではないのだった。
コミックマーケットの理念
コミックマーケットは同人誌を中心として
すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした
表現の可能性を拡げる為の「場」である -コミケットマニュアルより引用-
今回、3日目に東4ホールで頒布されていた「量子コンピュータ手習い」に出会い、サイモン・シン『暗号解読』を再読していたというタイムリーさもあって、購入させていただいたのだけれど、この本はどう考えても二次創作ではない。
LaTeXで書かれたのだろうか、という組版のそれをぺらぺらとめくりながら、まだ内容を読み下すところまでは辿り着いておらず、ただ、通読までの時間をたっぷりと取っていいのだという、所有の贅沢さを堪能している。"入手"の意味は、ある意味ではタイムシフトにある。
閑話休題、コミックマーケットはついにその開催90回を数え――コミケットスペシャルを加えればもう数回ほど回数は多いが――、つまり、順当にいけばあと5年後、2021年の夏にC100を迎える。
そして、その「順当にいけば」というところに、コミックマーケット準備会は挑み続けている。上述の「コミケットマニュアル」には、「場の継続に向けた意志」という項が独立で設けられており、彼らにとって、"継続"はそれほどまでに重い、最上位のものであるのだ。
コミケ終了直後には、はてなブックマークにもコミケ関連の記事がよく上がってくる。コスプレ、企業ブースは言うに及ばず、話題のサークル、スタッフの名言、トラブルの数々。かつてはローアングラー、今回はダミーサークルと徹夜組。
多くの人がそれぞれにそれぞれの立場で希望を述べていて、そのそれぞれに、私としても思うところがあるのだけれども、それに対処しなければならないコミックマーケット準備会は、まずは場の継続を最優先にし、コミックマーケットが中止になりうるリスクを絶対に取らない。
きっと、中止にするぐらいなら、縮小してでも開催するのだろう。
だから安心していい、というのも変だけれども、「次回のコミックマーケットは~」という文言は、コミックマーケットの理念に直結していて、だから、「コミケがなくなるかも」という想いを抱くときがくるならば、それは安易なものには決してなりえないだろう。
かつて、コミックマーケットはその代表を二度交代している。特に二度目の代表交代については、故・松智洋氏による『代表交代について・代表が代わった日』に詳しい。米沢代表――ここではもう米やんと書いてしまうけれど、つまるところ、コミックマーケットは米やんとともに滅ぶことを断固として拒否し、準備会を共同代表に委ねることで、自らの寿命を延ばした。
組織には生物学的な意味での寿命はない。組織は――「場」は、担い手がいなくなった時にこそ滅ぶ。
私は、コミックマーケットがずっと継続することを願っている。もちろん、表現の場として。
だから、自分がまだここにあるうちはその担い手でありたいし、自分の手からそれがこぼれ落ちていく時には、誰かに託せるようでありたいとも思う。
組織のタイムシフトだ。
そんなわけで、C90、おつかれさまでした。年末のC91に向けて、またしても続くとしましょうか。
【作品ネタバレなし】4DX・MX4D両方で『シン・ゴジラ』を観たのでレビュー
話題の『シン・ゴジラ』を4DX・MX4Dの両方で鑑賞したので、今から『シン・ゴジラ』を観たい、でもどれで観よう、と考えている方向けに、ほぼ作品のネタバレなしでレビューをする。
性質上、「どんな演出効果が使用されたか」には触れざるを得ないので、そこだけはごめんなさい。話の流れにはふれないようにしますので。
忙しい人向けの三行まとめはこのとおり。
また、これはあくまで『シン・ゴジラ』の鑑賞に限った話なので、別の映画であれば違う判断になるだろうことも合わせてご了承ください。
では、以下からそれぞれについて雑感。なお、私はメガネ着用・酔いについては強くもなく弱くもなく、というところ。
演出もりもりの4DX、アトラクションとして楽しみたい人向け
4DXは、ユナイテッド・シネマとしまえんにて鑑賞。上映前の予告編や、解説ムービーで4DXってどんなものかを体験させてもらえる。体験させてくれたのは『キング・オブ・エジプト』だった。
コロナワールドの解説によると、4DXが使う演出効果は、モーション・風・ミスト・香り・バブル・煙り・エアー・フラッシュ・雨・雪・嵐。
このうち、『シン・ゴジラ』鑑賞において特徴的だと感じたのは、風、エアー、煙り、雨の4つ*1。
風とエアーにどういう違いがあるかと言うと、前者はふわりとした感触の表現に、後者は左右の区別をつけた風圧を体感するものとして使い分けられていた。特に、エアーによってもたらされる、顔の右、左それぞれに強い風が吹き抜ける感覚は、4DXオンリーのものと言える。ただし、体感的な演出としてはかなり強い感触があるので、それを臨場感があるものとして捉えられるか、驚いてしまってかえって集中できないと感じるかは人によって分かれそうだ。
また、煙りについては、白煙・黒煙の使い分けがあり、なかなかインパクトのある演出になっていた。とはいえ難点もあって、煙りなので完璧なコントロールはありえず、スクリーンにもばっちりかかってしまうのが気になるところ。なので、隅々まで映像を目に焼き付けたい、という要望とは相反するのは間違いなく、そうでなくても気が散る、という意見もあると思われる。割り切れれば面白みはあるはず(私は好き)。
また、これも4DXのみの演出である雨は、とても小さい粒が数粒、ぱらぱらっと身体に感じる程度だったので、服が濡れる心配をする必要はない。むしろ、半袖の人が多い今の季節のほうが向いている演出効果かと。分厚い服を着てると感じにくいかもしれないぐらい。
全体としては、演出もよく使い分けられていて、アトラクション感がしっかり体験できて楽しかった。が、気が散りやすい人にとっては演出過剰と感じられるかもしれず、そのあたりは個々人の集中力というか、没入しやすさにも影響されるかと。また、当然ながら座席が動くので、テロップ読み取りとの相性は良くはない。「じっくり眺めたい/アトラクション体験をしたい」は両立しないのでそのつもりで。
振動系の細かさが売りのMX4D、得意なところははっきりしている
MX4Dは、TOHOシネマズ 新宿にて鑑賞。こちらも本編上映前に体験させてくれた。題材は同じ『キング・オブ・エジプト』。図らずもこちらの予告でも比較ができ、私としてはありがたい限り。
同じくTOHOシネマズの解説によると、MX4Dの演出効果には、振動系として、ネックティクラー(首)、バックポーカー(背後)、レッグティクラー(足元)、ランブラー(地響き)、シートポッパー(突き上げ)があり、その他演出として、ウインド、エアーブラスト(噴射)、ウォーターブラスト、フォグ(霧)、ストロボがある。
この一覧にも表れているように、MX4Dのポイントは振動系演出の部位の細かさで、『シン・ゴジラ』でもそれは明らかだった。バックポーカーでは背中をドンと押されるような振動が、レッグティクラーでは、足元に小石が跳ねてそれがふくらはぎをかすめる時のような振動が与えられ、まさに全身で体感することが可能。……だが、個人的にはレッグティクラーはややくすぐったくも感じたので、もしかすると、ハーフパンツ着用などだと、けっこうぞわりと来るかもしれない。
実際に『シン・ゴジラ』においても、振動の演出は巧みに使い分けられており、これだけ使い分けてくれるのか!とわくわくできた場面がいくつもあった。特に戦闘シーンで、兵器が切り替わるたびに振動の質がぐいぐいと変わっていく感覚があり、これはMX4Dならではのものかと。また、バックポーカーがひときわ強い効果を上げている場面があり、まさにその場にいる感覚を味わわせてくれた。
一方、水と風系の効果の主軸となっていたウォーターブラストとエアーブラストはけっこう強烈で、「ブシューッ!」と急に吹き付けられると反射的に目を閉じてしまう。そのせいで一瞬画面から目をそらしてしまう結果に。また、なんといってもメガネが濡れる。それも、けっこうそれなりに濡れるので、私は時々ハンカチで拭った。劇場内でもメガネを拭う人の姿はそこそこ見られたので、メガネ必須の人にとっては、ややつらいのではと思う。
4DXと比較すると、演出がついている場面・ついていない場面の区別がはっきりしており、かなり自然な効果がついているおかげもあって、演出効果が良い意味で目立たない。そのぶんアトラクション感は薄めで、代わりに没入はしやすいのでは。
補足:酔いやすい人向けに
4DX、MX4Dとも、私は酔わなかった。また、どちらにも同行してくれた友人(車ではあまり酔わない、酔いにはやや強い)も、酔わなかった、と言っていた。なので、酔いの強さはごく普通程度、というなら心配する必要はないと思う。
もしも酔いやすい自覚があるなら、横4つ組になっている座席の真ん中の2席を選ぶことで、多少は揺れが軽減できる可能性があるかもしれない(船では端より中心のほうが揺れが少ない理屈)。
まとめとその他
以上、雑感でした。どちらにも長所があり、それぞれ楽しめるものの、私自身がメガネ着用ということもあり、「『シン・ゴジラ』については4DXやや優勢」がこの記事としての結論です。ただし、MX4Dについても、別の作品であれば迷わずMX4Dを選ぶだろうと思わせるだけの魅力があり、興味がある人にはどちらも体験していただきたいですね!
そして、繰り返しになりますが、どちらもアトラクションとしての動きがあるので、テロップの読み取り等には向かない。じっくり眺めたいならやはり別のスタイルで観るべきでしょう。私も後日IMAXでもう一回観るよ!
また、ネタバレありの4DX・MX4Dの比較記事もありましたので、ご紹介を。
d.hatena.ne.jp
というわけでした。お読みいただきありがとうございました。
*1:もちろん他の演出効果も使われています。
探してます、数学の言葉づかいを教えてくれる本
数学に関する話題がホットだったので、普段思っていることを、20分ぐらいを目標に書く。
かつて、学校で「図は言語である」ということを叩きこまれた身としては、数式が言語なのはもう当然であり、とにかく誤読がありえないという意味では、数式以上の世界共通言語はそうそうなかろうと思われる。解釈のぶれがあるようなものは数式ではないのだ*1。
ので、その読解方法さえ学んでしまえば、誰でも――どこの誰でも読めるという意味で、「数式アレルギー」というのはなかなか雑な物言いではあると思う。「生理的に無理」という無敵の言い訳と大して変わらないからね。
ところで、「数学の言葉づかい」というやつがあるじゃないですか、ねえ。文章題の文体のことではなく、「~とおく」「を求める」など、そういう類の。
例えば、問題を解く最中に、こんなことを思う。
x^2をtとおく。0≦x≦2のときのtの範囲を求める。
……「求める」でいいのだろうか? 「調べる」? 「確認する」? 「のとき、tの範囲は~」と一続きにしたほうがよいのか?
このあたりの妥当な言葉づかいを整理してくれる書籍というのはないのだろうか、というのがここ最近のぼんやりした悩みである。「同様に確からしい」などの数学方言とはまた別種のものなんじゃないかという気がして、なかなか攻めあぐねているところだ。(以上20分)
「独身の人って生きがい何なの?」の文章が凄い
この文章を読んで私が感じたことは、文章の巧さだった。けだし名文。巧みすぎて、釣りくささすら感じた*1し、これが釣り(=フィクションないしは表現に重きを置いた創作の文章)だとしたなら、書き手はたいへんに優れた感性の持ち主だと思う。作家としてもやっていけるんじゃないかとすら思えるくらい。
それくらい、この文章は内容と印象が乖離している*2。
以下はすべてno offenseで、文章の構造や単語選びについてだけ話す。
まず前提として、文章においては"文章の意味"と"表現の選択が伝える雰囲気・印象"はまったくの別物である。ここが了解されないとけっこうめんどくさいことになるので、クドクドとくり返すけれど、「伝える内容と、伝わる印象は別である」。
内容に関して、あの文章に悪意はない。まったくない。むしろ無邪気で、素朴だと思う。誤解の余地がない程度にはじゅうぶん整理できているように思えるし、変な解釈のまぎれも起こさないはずだ。
ただし、伝わる印象は悪い。びっくりするほど悪い。表現のチョイスが軒並み印象を悪くする方向に作用している。
ここからは引用しつつ。まずは最初のブロックから。
で、思ったんだけど例えば30.40で独身の人って生きがいなんなの?仕事とか趣味?
- タメ口風の遠慮のない質問の仕方をしている
- 「30.40で独身」という、場合によっては一種の社会的弱者と見なされる属性を引き合いに出す
- 「こういう属性の人って生きがいなさそう」と思っているように読める
- 「仕事・趣味」を例示することによって、「自分は仕事も趣味も生きがいではない」ことを暗に示している
- もしかしたら、仕事もしてなければ趣味もないかもしれないと思わせる
- 「仕事・趣味」に「?」をつけることによって、「仕事や趣味が生きがいである」ことに疑義を挟む
……こうやって分解してみて、改めてそのスタイリッシュさに惚れ惚れしてしまう(no offense)。
次は追記から。
私の場合は、趣味も知的好奇心も友達も親も彼氏も社会的な成功も、生きることがそれなりに楽しい理由にはなったけど、絶対的な生きる理由にはならなかった。
- 「趣味をまっとうできた・知的好奇心を満たせた・友達がいた・良い親がいた・恋人がいた・社会的に成功した」ことを一気に宣言している
- もちろん苦労もあったのだろうけど、上記6種を「総合的に良いものと捉えている」程度には問題が少なかったことがうかがえる
おっちょっとこれは辛いなって心が折れそうになるときもある
- 「ちょっとこれは辛い」と「心が折れそう」を連結することで、結果的に「心が折れる」ことを軽く扱っている
- 実際にべきべきに心がへし折れた経験がないと思わせる
ゼロな自分がもし明日不慮の事故で死んでもそれは別にもったいなくはない
- 上記と関連して。自分を「ゼロ」と表現することによって、「趣味~社会的な成功」を得ていない人を「マイナス」まで暗黙におとしめている
さらに追・追記から。追・追記はさらに口語的なスタイルでまとめられていて、ほんとうに見事。
私は、あくまでも私の個人的な見解だから怒らないで聞いてね、
- 「個人的な見解だから」「怒らないで」という、論理的には筋のない連結によって甘えを感じさせる
- 「聞いて」という、文章に対しては通常もちいない表現
- 「ね」という語尾に甘えを含んだお願いのニュアンスがある
- ネットの向こうの顔も知らない読み手に対しての甘えは、「誰に対してもいつもこうなのだろう」と思わせる
ここのフレーズには舌を巻いた。「なーにが『怒らないで』だ(笑)」ぐらいの感覚になってしまった。このフレーズに敗北したので、こんな記事を書いてる。
私的には一人で生きていくのって結構大変で、だから独身の人って結構辛いんじゃないかなって想像するんだけど、
- 「想像する」という表現から、隣人が自分と同じ感性であることしか想像していないことになる
- つまり、感性が異なる人間がいることをそもそも想定していない表現になっている
- 例えば「独身の人は辛いんじゃないかなとつい思ってしまうんだけど」なら少しは緩む(少ししか緩まない)
- つまり、感性が異なる人間がいることをそもそも想定していない表現になっている
また、単語のバックグラウンドというか、単語自体の雰囲気もすごく効果的に用いている。代表的なのは「ママ」「BBQ」「タワマン」「カンファレンス」*3。
本当に、言葉の力というのはすごいものだ。面白かった。なお、私の生きがいは文章を読むことです。
DIABOLIK LOVERSの救済の仕組み ~ 歌詞から読み解く解釈の差の実例集
「iD BEST」までにどこまで岩Dについて書けるかなあ。宣伝したいんですが。
Rejet岩崎大介の愛と暴力 ~ DIABOLIK LOVERSにおける救済の仕組み - talkoのブ()ログという記事を先日書き、そこで、「聴覚情報=声と、視覚情報=文字をルビで並列化し、発信者と受信者の意識のずれを浮き彫りにする」手法について触れたので、その実例をここでは収集しようと思う。
なお、ルビが当てられている箇所を網羅するのではなく、特に、ヴァンパイアと人間の解釈の差を表現するための個所を抜粋する。*1
対象はさしあたり、「SUPER BEST」収録の楽曲まで。特に興味を惹かれたものについてはコメントを付記する。
では、以下スタート。
「真夜中の饗宴」逆巻アヤト(CV.緑川光)、逆巻シュウ(CV.鳥海浩輔)、逆巻スバル(CV.近藤隆)
《じぶん》〈本性〉
《いたみ》〈愛〉
《ためらいがち》〈他人行儀〉
《きおく》〈景色〉
- 声の方が抽象度が高い例。相手の記憶はどうやっても覗き見ることができないゆえに、表層的な理解にとどまってしまっている表現と解釈できる。
「ADDICTED (2) PHANTOM」逆巻アヤト(CV.緑川光)
《おもい》〈渇望〉
《ねがい》〈絶望〉
《こえ》〈悲鳴〉
《MEMORY》〈執着〉
《ラビリンス》〈世界〉
《すがた》〈幻想〉
- 乖離が激しい。ここまでの誤解を実際の恋愛でしていたなら遠からず破局しそう。
「切断★舞踏会」逆巻カナト(CV.梶裕貴)
《ねいろ》〈悲鳴〉
《したい》〈男〉
《せかい》〈現実〉
《オワリ》〈終演〉
- 「終演」という表現はより正確な理解なのか、表層的な理解に基づく誤解なのか。前者であれば、カナトの錯誤を看破したことになるし、後者であれば、カナトの絶望を理解できないユイの姿が見えることになる。
「血濡れた密会」逆巻ライト(CV.平川大輔)
《いま》〈常識〉
《シロップ》〈血〉
《モラル》〈品位〉
- モラルとは本来「倫理、道徳」の意味。ライトの意図するところは「動物になれよ」ぐらい根本的なことなのだが、それを「品位」と解釈してしまうことによって、むしろ誤解しているところが面白い。品位を失う程度では人間のままでいられるからね。
《マンホール》〈◎〉
「ZERO」逆巻スバル(CV.近藤隆)
《ヒヨって》〈畏怖って〉
《ちから》〈永遠〉
《フィルター》〈網膜〉
《しはい》〈征服〉
《くつじょく》〈痴態〉
- かなり繊細な例だが、「怒り」と「恥」の対比が面白いので抜粋。
《うたれ》〈支配たれ〉
「Farewell Song」逆巻シュウ(CV.鳥海浩輔)
《もの》〈悲鳴〉
- 逆巻家の長子・シュウがほぼ唯一見せる解釈の差がここ。この一点がなければ婉曲的な表現でまとまっている。逆に言えば、この一か所だけで光景がかなり強烈に凄惨な側に突き落とされておりまして、とても効果的だなと思う次第。
「とある預言者の、運命」逆巻レイジ(CV.小西克幸)
《うやまう》〈溺愛う〉
《ざわめき》〈祈祷〉
《りせい》〈規則〉
《のうり》〈野原〉
- 悩ましい解釈違い。この曲においては、文字列=歌詞は視覚情報であると同時に、視覚情報が文字列化されたものとなっている。つまり、歌詞の文字列自体はとても視覚的にまとまっていて、反面、歌詞の読み方は意味的に(あるいはレイジの考えそのままに)まとめられているのだろうと思う。
「幻日理論 -Parhelion Logic-」逆巻アヤト(CV.緑川光)
《ナイフ》〈理論〉
《ひかり》〈罪〉
《ウソ》〈確信〉
- この例を見るに、アヤトとユイ(主人公)のすれ違いは他のメンバーに比べて甚だしい。主人公がどれだけの確信を抱き、必死に訴えても、アヤトにとっては嘘としか映らないことになる。
《なくなる》〈自虐る〉
《げんじつ》〈幻日〉
《きぼう》〈灯〉
「極限BLOOD」逆巻アヤト(CV.緑川光)、逆巻シュウ(CV.鳥海浩輔)、逆巻スバル(CV.近藤隆)
《クスリ》〈血〉
- 血を何か別物に解釈することにかけては他の追随を許さない「DIABOLIK LOVERS」だけれど、なかでも「薬」はかなり踏み込んでいると思う。
《じぶん》〈夢魔〉
《うるおい》〈満足〉
《ねがい》〈嘘〉
《こたえ》〈真実〉
《オマエ》〈Ghoul〉
《あかし》〈傷痕〉
- 《いたみ》を〈愛〉とした「真夜中の饗宴」の構造とは解釈が逆転している点がポイント。ユイの認識が「愛情を実感する前」まで巻き戻っているとも言える。前述の《ねがい》〈嘘〉も同様で、ヴァンパイア側が都合よく解釈している表現。
《ナミダ》〈自虐〉
「月蝕」無神コウ(CV.木村良平)、無神ユーマ(CV.鈴木達央)、無神アズサ(CV.岸尾だいすけ)
《じぶん》〈人形〉
《わたし》〈月〉
- 本当はここに抜粋するのは間違っているのだが、好きなので抜いちゃう(すいません)。ここでの《わたし》とそれを〈月〉に喩えているのは同一人物だ(そうでないと続く歌詞の〈貴方は蝕〉を受けられないので)。月蝕の構造上、「太陽‐地球‐月」の並びが想起されるのであり、だとすると、太陽は何か、地球(=蝕の原因)は何か? いや、そもそも《わたし》は誰か? 歌詞中にある〈貴方〉の表記、その属性として女性を帯びる月というモチーフから推測するに……
《おもいやり》〈自尊心〉
《STORY》〈都合主義〉
《ほしがってる》〈支配がってる〉
《おもいで》〈傷痕〉
……だいたいこんなところでしょうか。「SUPER BEST II」収録楽曲についてはまた次の機会で。
*1:例えば、「とある預言者の、運命」における《シュヴァルトヴァルト》→〈黒い森〉などは、解釈の差というよりは単に意識の差を翻訳した例と思われるので除外する。
即興劇「AD-LIVE2016」の出演者発表についての雑感
2017/06/13追記 この記事は2016年版の記事です。2017年版の記事はこちらです。
ちょっと日数開いちゃいました。
あんまり時間もないので、手短に書かせてください。細部はあらいんだ、申し訳ない。
さて、即興劇「AD-LIVE」の出演者が発表になりました。
AD-LIVE(アドリブ) 2017 - AD-LIVE Project
ここまで皆勤賞だった、櫻井孝宏さん、岩田光央さんの出演はなしという思い切った人選はあったものの、個人的には「大筋予想通り」でした。
特に、継続組 and 新人(復帰)組の図式が明らかなのはわかりやすいところです。
というのは、AD-LIVEの舞台においては「AD-LIVE初体験者のみでマッチングすることは極力しない」という不文律があるようでして、昨年、AD-LIVE2015においては、全公演に鈴村健一さんが自ら参戦するということでそのあたりをクリアーしていたからですね。
暫定的に、役割:レシーバーというものがあると仮定すると、AD-LIVE2015においてのレシーバーはまず鈴村健一さん。そして各公演としては、櫻井孝宏さん(対 津田健次郎さん)、岩田光央さん(対 浪川大輔さん)、梶裕貴さん(対 名塚佳織さん)、福山潤さん(対 下野紘さん)となるでしょう。
ありていに言ってしまうと、AD-LIVEの舞台を物語として成立させるためには、経験者によるアシストがあったほうがよい、という判断が働いていそうだ……ということです。
これは、2014年公演において、鈴村さん・櫻井さん・岩田さんの3人のうち、常にだれかひとりは舞台に立っていたことからも補強できそうな仮説です。
そんなわけで、AD-LIVE2015において、レシーバーとしての経験蓄積をしていたであろう梶さん、福山さんの継続出演は順当なところ。そこに小野賢章さんと釘宮理恵さんという、「初体験者同士で2公演プレイした」2人が継続出演、さらに、最強の必殺技:即興ソングを持つ下野紘さんが継続出演ということで、狙いとしては、「これからもっとAD-LIVEであれこれやりたいので、レシーバーができる人をばしばし増やしたいよね!」という印象を受けています。
森久保祥太郎さんの復帰をはじめ、寺島拓篤さん・中村悠一さんの参加も同様の印象です。特に寺島拓篤さんは来年度も継続して登場しそうなところ。期待がかかりますね。
もちろん、舞台経験豊富な浅沼晋太郎さんの参加も欠かすことはできません。演出面での参加のみならず、鈴村さんの初日参加と対になる最終日参加なのも趣深い。このあたりは、「AD-LIVEの脚本構造・イベントのトリガーを誰が引くのか」みたいなところとちょっとかかわるところです。脚本構造について書く機会がきたら、改めて少し触れます。
「あれこれやりたい」というのは、全体から読み取れる傾向かなとも思っています。
つまり、今この時点では「余計な縛りをとっぱらいたい」フェイズかと思うので、たとえば「○○さんは必ず出演する」とか、「男性声優の舞台だ」とか、「20代から40代の声優が出演する」とか、そういう固定観念については積極的に打ち砕いていく方向なのかな、ということです*1。
鈴村さんのプレイヤー復帰(すなわち全日出演の回避)、釘宮理恵さんと高垣彩陽さんによる女性同士のマッチング、堀内賢雄さんのご出演などなど、すべてAD-LIVEの枠組みを広げるための選択に寄っていると思います*2。
気が早い話ですが、2017年についてもこの傾向は継続すると思ってまして、熟練の女性声優さんの参加には期待がかかります。今の時点で候補になりそうなのは、くじらさんでしょうか……。朴ロ美(ロは王に路)さんだとちょっと若いぐらいかもしれません。
発表になったテーマ「会いたい人」についても、なかなか巧妙だなあと思っています。
これもまた昨年との対比になりますが、AD-LIVE2015のテーマ「ともだち」には、「恋愛の排除」が裏に含まれていそうだったからです。
女性キャストの初参加によって当然浮かび上がる男女の関係のうち、きわめてベタなひとつである恋愛関係。それを「ともだち」というテーマを掲げることで積極的に回避することに成功した2015年公演*3に続き、なるほど見事なテーマを出したものだと、拍手を惜しみません。
今回は男女ペアの公演がありませんので、舞台上で直接的に恋愛が起こることはありません。これなら「会いたい人」に最愛の人を想定できます。……プレイヤーの皆々様がそうするとは限りませんけども。
なお、テーマとAD-LIVEの「密室劇になりやすい」特性から考えると、悲劇になりやすい予感がしないでもありません。わかりやすいのは、「閉じ込められて、このままだと死んじゃう! そんなところに外部から電話*4が――」です。
ところで私は高垣彩陽さんの「自分とは断絶した人を想う」時の、輪郭のくっきりした芝居が大好きで大好きで、今回はテーマとの合わせ技で大注目しております。鈴村さんとの縁で言えば、SUPER SOUND THEATRE「Valkyrie 〜Story from RHINE GOLD〜」でのクケリ役はまさにそのタイプで、率直に言って最高でした。「ひたむき」とか「健気」とか……『機動戦士ガンダム00』のフェルト・グレイス役の時からすばらしかったですよね。今回の公演はどのように打ち出してくるのか、たいへん楽しみです。
えーと、とりあえず好き放題書きました。手短とはなんだったのか!
「AD-LIVEのRollとPlay 副読本:人狼バトル」「櫻井孝宏論」あたりを書きたくなりつつ、これからしばらく忙しいので、いつになるやら……
まずは来週末の満天ライブが楽しみです。
*1:あくまで今は、です。例えば今回は出演のない櫻井さんや岩田さんだってまた次公演に復帰してくる可能性は大いにあると思います
*2:特に年齢層の拡大は予想していたところでした。実は内心「森川智之さんか藤原啓治さんはあるかも……」と思っていたのですが、もっと熟練の方のご登場でした。事務所所長枠という読みは合っていたのですが、踏み込みが足りなかったです(笑)。
*3:この点については、梶さんの昼公演の設定がとても見事な捌きで、「梶裕貴論」があれば触れたいと思います
*4:外から突発的にコールがかかるという「割り込み」感、片方の台詞しか聞こえない特性などなど、AD-LIVE脚本を構成する上での要件を満たしたギミックです