「独身の人って生きがい何なの?」の文章が凄い
この文章を読んで私が感じたことは、文章の巧さだった。けだし名文。巧みすぎて、釣りくささすら感じた*1し、これが釣り(=フィクションないしは表現に重きを置いた創作の文章)だとしたなら、書き手はたいへんに優れた感性の持ち主だと思う。作家としてもやっていけるんじゃないかとすら思えるくらい。
それくらい、この文章は内容と印象が乖離している*2。
以下はすべてno offenseで、文章の構造や単語選びについてだけ話す。
まず前提として、文章においては"文章の意味"と"表現の選択が伝える雰囲気・印象"はまったくの別物である。ここが了解されないとけっこうめんどくさいことになるので、クドクドとくり返すけれど、「伝える内容と、伝わる印象は別である」。
内容に関して、あの文章に悪意はない。まったくない。むしろ無邪気で、素朴だと思う。誤解の余地がない程度にはじゅうぶん整理できているように思えるし、変な解釈のまぎれも起こさないはずだ。
ただし、伝わる印象は悪い。びっくりするほど悪い。表現のチョイスが軒並み印象を悪くする方向に作用している。
ここからは引用しつつ。まずは最初のブロックから。
で、思ったんだけど例えば30.40で独身の人って生きがいなんなの?仕事とか趣味?
- タメ口風の遠慮のない質問の仕方をしている
- 「30.40で独身」という、場合によっては一種の社会的弱者と見なされる属性を引き合いに出す
- 「こういう属性の人って生きがいなさそう」と思っているように読める
- 「仕事・趣味」を例示することによって、「自分は仕事も趣味も生きがいではない」ことを暗に示している
- もしかしたら、仕事もしてなければ趣味もないかもしれないと思わせる
- 「仕事・趣味」に「?」をつけることによって、「仕事や趣味が生きがいである」ことに疑義を挟む
……こうやって分解してみて、改めてそのスタイリッシュさに惚れ惚れしてしまう(no offense)。
次は追記から。
私の場合は、趣味も知的好奇心も友達も親も彼氏も社会的な成功も、生きることがそれなりに楽しい理由にはなったけど、絶対的な生きる理由にはならなかった。
- 「趣味をまっとうできた・知的好奇心を満たせた・友達がいた・良い親がいた・恋人がいた・社会的に成功した」ことを一気に宣言している
- もちろん苦労もあったのだろうけど、上記6種を「総合的に良いものと捉えている」程度には問題が少なかったことがうかがえる
おっちょっとこれは辛いなって心が折れそうになるときもある
- 「ちょっとこれは辛い」と「心が折れそう」を連結することで、結果的に「心が折れる」ことを軽く扱っている
- 実際にべきべきに心がへし折れた経験がないと思わせる
ゼロな自分がもし明日不慮の事故で死んでもそれは別にもったいなくはない
- 上記と関連して。自分を「ゼロ」と表現することによって、「趣味~社会的な成功」を得ていない人を「マイナス」まで暗黙におとしめている
さらに追・追記から。追・追記はさらに口語的なスタイルでまとめられていて、ほんとうに見事。
私は、あくまでも私の個人的な見解だから怒らないで聞いてね、
- 「個人的な見解だから」「怒らないで」という、論理的には筋のない連結によって甘えを感じさせる
- 「聞いて」という、文章に対しては通常もちいない表現
- 「ね」という語尾に甘えを含んだお願いのニュアンスがある
- ネットの向こうの顔も知らない読み手に対しての甘えは、「誰に対してもいつもこうなのだろう」と思わせる
ここのフレーズには舌を巻いた。「なーにが『怒らないで』だ(笑)」ぐらいの感覚になってしまった。このフレーズに敗北したので、こんな記事を書いてる。
私的には一人で生きていくのって結構大変で、だから独身の人って結構辛いんじゃないかなって想像するんだけど、
- 「想像する」という表現から、隣人が自分と同じ感性であることしか想像していないことになる
- つまり、感性が異なる人間がいることをそもそも想定していない表現になっている
- 例えば「独身の人は辛いんじゃないかなとつい思ってしまうんだけど」なら少しは緩む(少ししか緩まない)
- つまり、感性が異なる人間がいることをそもそも想定していない表現になっている
また、単語のバックグラウンドというか、単語自体の雰囲気もすごく効果的に用いている。代表的なのは「ママ」「BBQ」「タワマン」「カンファレンス」*3。
本当に、言葉の力というのはすごいものだ。面白かった。なお、私の生きがいは文章を読むことです。