()内は可変
お問い合わせはこちらから

AD-LIVEがSCRAPと組んで「脱出」ですってよ、あるいは再演不可能性とその結末の話

ad-live-project.com

はい。

正直、驚き半分、納得半分、というところです。いや、驚き4割…… そうでもないかな…… いえ、やっぱり半分ですかねえ。

6/27の出演者発表会において、AD-LIVE2020は、リアル脱出ゲームで知られる株式会社SCRAPとのコラボレーションであることが発表されました。

出演者のほうも若手が一気に入ってきつつ、ベテランからもニューフェイス参戦というサービスあふれるバランスでほくほくしておりますが、私にとっての第一トピックはやはりSCRAPコラボのほうです。SCRAPさんとは個人的に浅からぬ因縁がありまして、たとえば2016年5月のとある記事で「5月13日から15日までの3日間、声を張り上げ続け」と書いたんですが、これ、SCRAP絡みですから…… SCRAPのアレでコレがこうでしたから(守秘義務に触れるので書けない)。

自分自身でも何度も触れている「リアル脱出ゲーム」なので、より想像が強く刺激されてしまっているのかもしれません。以降は、「リアル脱出ゲーム」とは何か? どういう特徴があるのか? を概観しつつ、AD-LIVEとのコラボの可能性をちょっと書いてみようと思います。

リアル脱出ゲームとは?

「リアル脱出ゲーム」とは、株式会社SCRAPが実施する、謎解きを行ってシチュエーションの突破を目指す、実体験型アトラクションです。そのアイデアの発端は「CRIMSON ROOM*1というWebコンテンツ、および、その後に起こった「なぜか部屋に閉じ込められている、という状況から、アイテムを探し、謎を解き、部屋を出る」という形式のパズルゲームの流行にあったと言えるでしょう。

Webブラウザによる脱出ゲームの流行の中で、「これを現実でやってみたい!」という欲はおそらくいろんなところにあったのでしょうが、それを実際に成し遂げたのは、現在のSCRAP代表の加藤隆生氏だったわけですね。もともとは氏が関わる京都のフリーペーパー『SCRAP』の一企画に過ぎなかった「リアル脱出ゲーム」は、みるみるうちに超巨大コンテンツに成長を遂げたのです。このあたりのことは、SCRAP出版『10th Anniversary リアル脱出ゲームのすべて』に詳しいです。

いま現在、SCRAPの制作する「リアル脱出ゲーム」の公演は、その特徴によっていくつかの分類が生まれています。小規模な順に、ルーム型・ホール型・スタジアム型・周遊型*2と呼ぶことが可能です。AD-LIVEとのコラボを考える上でも重要なので、ざっと特徴をあげておきましょう。

ルーム型

主に「アジトオブスクラップ」系列で実施されるので、アジト型とも。参加人数は10人程度まで。実際に部屋に1チームが閉じ込められ、制限時間(多くは60分)以内の脱出を目指す。脱出のために室内を激しく探索しなければならないことが最大の特徴。カーペットをめくり、テーブルの裏をのぞき、引き出しをすべて引っ張り出してひっくり返し、高い棚の上まで手を伸ばしてまさぐり、壁の隅を見るたびに這いつくばり、と、謎解きに必要なブツを探し出す段取りもなかなか大変。

ホール型

主に「ヒミツキチオブスクラップ」系列で実施されるので、ヒミツキチ型とも。1チームは6人程度で、複数のチームが同時に謎解きに参加できるため、同時参加可能人数は100人程度。チームメンバーで協力し、制限時間(多くは60分)以内の脱出を目指す。テーブルに集まって謎を解き、ホール内の壁に散らばるヒントを回収し、と同時並行で取り掛かれる作業が多めで、チームメンバー間での分担がカギになることが多い。また、謎解きの段階が進むことで、ホール内のとある一画に(例えばアイテムを見せたり、合言葉を伝えたりして)入ることができるようになったりと、ちょっとしたアドベンチャー要素もある。

スタジアム型

会場によってはドーム型とも。参加人数は1000人以上、過去に10000人規模の公演の例もあり。単独参加可能で、希望者はチームを組んでもよい。制限時間は、90分程度で決められている場合と、その日の開催時間の間中ずっと、という場合がある。参加者は謎解きに必要なキットを渡され、キットに従い、必要に応じて会場内を移動しながら謎解きを行う。同時に参加可能な人数が多く、会場内での移動にも多少の時間がかかる点が特徴。過去に実績のある会場としては、東京ドーム、メットライフドームよみうりランドなど。

周遊型

街歩き型とも。参加人数は制限なし。単独参加可能。制限時間はなし。ただし、時間帯によっては入場不能、通行不能の個所が存在する場合がある。エリア全体が謎解きのフィールドとなっており、謎を解いて新たな目的地を知り、そこを訪ねてヒントを得る、という流れを繰り返して最終的なゴールにたどり着く形が多い。移動時間を含めると所要時間が非常に長いため、すべてを解くのには半日以上の時間がかかる場合が多い。例としては、東京メトロとのコラボで行われる「地下謎への招待状」シリーズなど。

上記の4分類はあくまで基本的なもので、実際の各公演においては、ゆるやかに条件が混在する場合がある(例:スタジアム型だがチーム制のみで単独参加は不可、など)。また、このすべての形態において、同一公演への再参加は不可。 謎の詳細をSNS等で公開することも、まだ参加していないプレイヤーへのネタバレ行為となるため、禁止されている。

AD-LIVEとコラボするなら……

とまあ、ざくざくっと書いてみました。

以上の特徴より、AD-LIVE本公演で行うならば、ホール寄りのルーム型が本命でしょう。舞台上のあちこちからヒントを探すなんて面白そうですし、謎を解く側、ヒントを探す側と分担がききそうなところもよい。観客席からの視認性から見れば、細かい紙きれを切ったり貼ったりするような細々した作業はあまり見栄えがしないでしょう。プロジェクタなどでビジュアルが提示されればじゅうぶん取り組める謎が中心になりそうです。

と、こんな感じで、謎解きのかたちも気になるところですが、SCRAP公演が持っている「再参加不可」「ネタバレ禁止」条項も私的に見逃せません。SCRAPにとってこの取り決めは非常に重要。

ひとつには、全体の難易度を「初見の状態で解く」に合わせて調節しているため、仮に再プレイを行えば著しく全体の難易度が下落するという事情があります。答えが分かっている状態の謎解きは謎解きではありませんよね。もうひとつには、「一度しか参加できないからこそ、脱出成功に向けて本気になる!」という、参加者側のモチベーションにかかわる部分です。SCRAP公演の多くはチーム制で、必ずしも友人・知人とだけ組むわけではありません。したがって、やる気のない参加者は極めて迷惑な存在です。各参加者にとってたった一度の公演をただひとりが台無しにしてしまうわけですから。

そう、この「各参加者にとってたった一度の公演」というところが、AD-LIVEとSCRAPのリアル脱出ゲームの最大の共通点だと思うんですよ。

SCRAPのリアル脱出ゲーム公演(ルームやホール)に参加すると、その60分の間はとにかくずーっとスイッチオンで、考えるし、動くし、悩むしで、忙しいのなんの。自力で謎が解ければ達成感はすっごいし、隣にいる人が目覚ましい閃きで謎を一刀両断すると思わず拍手するほどです。制限時間内に脱出が叶ったときなんか、かなりテンションが上がります(余談ですが、SCRAPのリアル脱出ゲームの脱出成功率は50%を下回る場合が多いです)。気持ちよく家に帰れるってもんです。リアル脱出ゲームの「結果」には脱出成功/脱出失敗の2種類しかありません*3が、その楽しさは結果だけでは語れません。

一方、AD-LIVEにおいては、「どう終わるか」という点が常に模索されていました。AD-LIVE 2015ではオチの型をしっかり決め、AD-LIVE 2016では最後の場面背景を決めておき、AD-LIVE 2017では〈結末の行動〉が事前に演出部から指示され、AD-LIVE 2018ではキャストが終わりの行動を事前に演出部に申告し、AD-LIVE ZEROではくじ引きで最後の行動を決定してきました。そして、これらはすべて、大なり小なり「結末の〈型〉を変更できない」という特徴を持っていたともいえると思います。

特に顕著だったのはAD-LIVE 2015です。AD-LIVE2015において、最後の場面の見かけ上の形は完全に同一で、そこにたどり着くのは既定路線でした。つまり、裏を返せば、キャストはある意味では結末の形を自分の支配下に置き続けなければならなかったわけですよ。結末の形を手放せないし、変更できないので。

一方、今年のAD-LIVE 2020では、キャストが結末の〈型〉を完全に支配することができません。脱出の成否は謎が解けるかどうかにかかっているので、どんなに頑張ってもダメなときはダメ。特に脱出成功を目指したい場合はそうなります。あえて積極的に脱出失敗する方向に突撃することは可能なんでしょうが、そのモチベーション設定自体はキャラクターとしては不自然な要素なので、よっぽど理由付けしないと難しそうです。

再演不可能性と、結末が選べないという特徴。いやあ、ほんと、AD-LIVEが「リアル脱出ゲーム」と組む甲斐がある、と思えてなりませんよ! とても、良い!

そして、この再演不可能性がある以上、16公演すべて違う謎が出てくる可能性はとても高いです。*4特に昼夜は絶対に変えねばなりませんよ、プレイヤーが一緒なんだから。まったく同じ謎を再利用してきたらちょっと、SCRAPさんそりゃないぜ、って感じになりますからね。頼みますぜ。


私はSCRAPのコンテンツにもそこそこ触れているし、謎解きにも慣れているので、本公演中に(すぐに答えが分かってしまって)ソワソワしてしまう可能性はわりとあるなあ、と思っています。実際のSCRAPの公演では、本当に謎解きにつまるとスタッフさんがそっとヒントを耳打ちしてくれたりもするのですが、果たしてAD-LIVE2020ではそのあたりはどうなんでしょうか。

あと、SCRAPさんは公演のたびにオマケ謎入りの記念クリアファイルとかをよく売り出してるので、AD-LIVEコラボでもぜひ作っていただきたいですね。いつもみたいに、パンフレットにも謎を載せてくれたら最高です。

実に楽しみです! 期待してます。

*1:高木敏光氏が運営するサイト「TAKAGISM」(現在は閉鎖)で公開されていました。プレイしたい場合は移植されている CRIMSON ROOM|大人ゲーム王国 for Yahoo! ゲーム かんたんゲーム へどうぞ。

*2:呼び名は便宜上。かなり公式の用語に近いと思いますが。

*3:このあたり、AD-LIVE2015のTF脚本をちょっと思い出したり。

*4:7/6 17:00追記 最初「間違いありません」と書いてたんですけど、さすがに圧が高すぎるかなあと思って表現を調整しました。昼夜で変更するのは揺るぎないにしても、8種類×2回ぐらいの可能性はあるかもしれませんし。

本多劇場グループPRESENTS 『DISTANCE』~「制御不能朗読劇〜読むAD-LIVE〜」のあれこれ

(6/10 注釈に一部追記)
本多劇場グループPRESENTS 『DISTANCE』より、6月6日(土)14:00開演 「制御不能朗読劇〜読むAD-LIVE〜」(出演:鈴村健一)をSteaming+で観劇しました。

distance.mystrikingly.com

記憶が古びないうちに、雑多に項目として書き綴っておきたく、こうして書いております。構成を整頓する時間が惜しいので、少々とっ散らかってしまうかも。読みにくくてすいません。

あとめっちゃ長いので、覚悟してくださいね。以下、続きを読むからどうぞ。

続きを読む

公開情報にはできないけれど誰かと共有はしたい「ミス」の話と、本当は公開したいミスの話

世に発表された作品の中には「ミス」が含まれています。

このブログでは、たしかたびたび「ミス」に関して書いてきた気がするんですが…… いま思い返してみて、具体的にどのエントリだったっけ?*1となっているので、あらためてもう一度、何度でも書きます。

私はわりと「ミス」という事柄そのものが好きです。この「ミス」というのは総称としての用法で、誤り・エラー・誤植・誤記・事実誤認などのほか、もっともっと些末で微細なもの、または、一見した時点では誤りに見えても実際には順当な形で成立しているものも含みます。端的にいえば、もっと普通の・一般的な別の形がありそうなものを指して「ミス」と呼んでいるんですよね。その点でいえば、「ミス」とはある種の特異な特徴を有する個所と言えましょう。

そういう「ミス」に触れたり、あるいは自発的に気づいたりすることに私は一定以上の興味を覚えるし、それをわりと逐一記憶しています。

上で「総称」と言ったように、ミスにはいろいろ分類があって、ただ単純によろしくないミスばかりではなく、何かを示唆してくれるミス、すてきだとさえ感じられるミスもあります。このあたりの正確な分類をいつかまたエントリにしたいんですが、今日の本題はそれではなくて。*2

いくらミスに分類があり、なんでもかんでも非難につながるとはいえないにしたって、「これってミスだよね」とネット上で紹介してしまうかといえば、これはたいへん慎重にならざるを得ません。いかに私個人が素敵に思おうが、示唆を示してようが、なんらかの綻びであることも一面たしかではあるからです。

以降の例はすべて実例ですが、具体的な作品名を挙げることが一切できません。分かった方も書かないようにお願いしますね。

  • 表示される月の名称(Januaryなど)にスペルミスがあった
  • エンディング内の文に誤字があった
  • スタッフロールで役者の名前が間違っていた
  • 「勝ったほうが負けたほうの言うことをひとつ聞く!」とキャラクターが発言し、その後、負けたほうが勝ったほうの言うことを聞いた
  • 「居丈高」を読み間違えた音声が収録されていた

特に最後ふたつはたいへん示唆的で、このふたつが私は大好きなんですよ。例えばシナリオライター、声優、ディレクターは論理ミスに対して脇が甘くなるのかもしれないな、と想像できたり、例えば声優さんでもあらゆる言葉に詳しいとは限らず、同時にこの作品の制作現場ではこの読み間違いを指摘して修正できる人は誰もいなかったんだな、とわかったり。「勝ったほうが~」の例なんて、画像データでばっちしログを残してあるんですがね。読み上げた声優さんひとりの責任ではないということはとても重要。


前半3つにしても、簡易なスペルミス、単純な誤字の頻度がわかれば、校正コストを支払っていないだろうことぐらいは推測できます。「エンディング内の文に誤字があった」例は移植版でしたので、移植にあたってのケアも行われなかったらしいことまで見えました。

これとは逆に、元のバージョンで存在していた誤字が移植版で消えた例も発見したことがあります。この「移植にあたって誤字が消えた例」はかなりクレイジーで、私に無限に時間があったら網羅してエントリに起こしたいぐらいすさまじいです。なぜこれができたのか、どんな制作体制だったのか、本当に謎。

同様に、上記の「スタッフロールで役者の名前が間違っていた」とある作品は、別の製品化の機会にそれを修正しています。公式サイドに「ミスがあるようなんだけど」と伝え、修正の有無を問い合わせたところ、「ミスには気づいており、今後の製品では直ります」と回答が得られました。以降はすべて直しているでしょう。


ことほどさように、ミスはあくまでミスなので、発生しないに越したことはないのですが、発生しているならしているで、なぜ発生したのかを想像することで、いろんなことが見えてくる点に大きな魅力があります。

でもなー。やっぱり実際の作品名まで挙げての公開はできないですよね。なんて惜しいのだろう!

とあるミクロのミスで作品そのものの価値なんて大きく変わったりしない――というのは言い過ぎにしても(エンディングでの誤字はさすがにがっくり来ましたから)、修正しようがないミスの指摘なんて、薬にもなりません。ウェブサイトなら手を動かせばいつなりと、パッケージ版のゲームでさえ、誤表記程度ならパッチ配信で修正されるご時世*3ですが、音声のミスとなると修正コストが高すぎます。めっちゃめちゃ重要な場面の音声とかなら検討の余地があるにしても、さらさらと通り過ぎていく部分を逐一直してはいられません。そもそもまず、パッチ配信で修正可能な文字にしたって、すべてを完全完璧にしようと思ったら莫大なコストです。できないと思ったほうが順当でしょう。

手抜かりをあげつらうだけになってしまうから具体的な作品名は一切出せないけれど、それでも「ミス」の話は面白いことが多いなあと思うのでした。今後も、非難するためではなく何かをうかがい知るために、「ミス」を手掛かりにしていきたいと思っています。


……ただ、モヤッとする「ミス」ってのももちろんあります。(ここから今回のオチです)

とある有料買い切りのアプリゲームで、どうやら挙動がバグらしい部分がありまして…… 再現性は100%、その個所にかかわる追加課金すら存在するという、アプリの売りの部分でもある一機能でのことです。公式サイドに報告し、回答として「バグを確認しました。アプリアップデートでしか直りませんので、アップデートをお待ち下さい」と連絡をいただいたのですが、それから4カ月以上、アップデートの気配はなし、という状況に陥っています。

わかってます。修正コストが支払えないんでしょうね。直しても売り上げが上がるとは考えられませんもんね。ただでさえ忙しい手数はさけませんよ。わかっているんですけど、アプリゲームのタイトルをすら一切どこにも書けない状態が、たいへんに、もどかしい!

Twitterでも、配信ストアでも、私は未だにこのバグの存在について公に共有していません。このタイプのミスは面白みもなければ示唆もなく、公表しても公式サイドの評価が下がるだけなので、仁義みたいなつもりで黙っているんですけど…… いやあ、どこかのタイミングでは言いたいなあ。だってそのアプリ、バグがある状態のまま有料で販売しているってことなんですから。問い合わせから1年経過したら言っちゃおうかな?とこっそり胸に抱いております。

知らずに買う人がいたら、それはそれで申し訳ないですからね。公式と敵対したいわけじゃないですけど、自分以外のユーザーにだって親切にしたいじゃありませんか。ねえ?

*1:下書きでお蔵入りしたやつかもしれない。

*2:補足用に注釈にそれでもなんとなく補足するために一パラグラフ割いておきます。例えば超芸術トマソンの例や、超芸術トマソンをモチーフにしたことにある種のミスがあった『「鈴村健一の超人タイツ ジャイアント」続・思い出のヒーローソング集』内作品、「トマソンバスターよみがえる」の例はたいへんに魅力的です。超芸術トマソンを「ミス」のうちに含んでいる点は私の偏りですが、「トマソンバスターよみがえる」に関しては、鈴村健一さん本人がブックレットで自らコメントしています。なんのこと?と気になった人はCDを買おう。すごく良いぞ。

*3:『Starry☆Sky』Vita版の修正の例(https://twitter.com/StarrySky_hb/status/996223423981408256)。修正前・修正後の画像データをログとして残しました。趣味です。

金銭の幸福とグロテスク~お金を払って悪いのか、払わなくて悪いのか

タイトルからして不穏ですね!

最近のオタク*1は、「公式にお金を払う」ことが好きになっていると思う。

この「好き」というのも、ものすごく複合的な概念で、「公式にお金を払うのは良いこと」だとか、「公式にお金を払うのは楽しい」だとか、「公式にお金を払うのはファンの義務」だとか、いろいろな形に分解が可能なのだけれども、ベクトルとしては推奨される行動、ポジティブなニュアンスをはっきり帯びているに違いない。

というのはもちろん、我々の今の社会は資本主義的なサイクルをマネーでもってぶん回すことで駆動していることからくるもので、それはつまり、「物事ってやつぁ、価格〈Price〉にコスト〈TIme&Money〉を注ぎ込んで、喜び〈Value〉を得る、という仕組みになっているんだぜィ。だから、その仕組みを自覚的に活用していくんでさァ」みたいな、わりと順当な話ではある。

ただ、こういう価値循環の仕組みが現代ではもはや筒抜けになって、消費者側がその循環の主流に自覚的になると、その傍流に対して辛らつになる、ということが起こるのではないだろうか。

端的に言うと、茶の間は引っ込んでろ、理論のことなんですけど。

ここでいう「茶の間」というのは、オタク界隈で蔑称的に言われるもので、現場に行かない=茶の間にいる、お金の使い方が荒くないファン層を指しているやつです。


価値循環のサイクルのメインストリームがよくコストを注ぎ込む層であるのは確かにしても、そもそも価値循環のサイクルとは一種類しかないものではないから、どっぷり楽しむ層、比較的ライトな層、なんならほぼノーコストで楽しむ層というのは必然的に発生しえますね。それはいい。ビジネス的な観点から言うならば、その「ノーコストで楽しむ層」という裾野のような人々を、どのようなステップでメインストリームに接近させていけるか、というような取り組みがありえて、それもそれで正しいし、とてもよくあること。

だてにアニメは無料放送ではないってことだったりとか、音声作品にはとてもしょっちゅう試聴がついてたりとか、そういうものだって、まずはノーコスト的なステップ1でしょう。重要なのは、そこからライトなステップ2、しっかり関わるステップ3にどうナビしていけるか、どう乗っかっていくかだったり。


私はすっかり価値循環のサイクルに取り込まれていて、だからこそ「好きな作品・アーティストにはコストを支払っていこう=ステップ2に進んでいこう」と考えるほうだ。だからこそ、自分がものすごくどっぷりと、コストをかけてステップ3まで楽しんでいる何かを、どこかの誰かがノーコストで、ものすごく美味しく――都合よく――ステップ1だけを楽しんでいるのを見かけると、「もうちょっとお金払ってくれたら嬉しいのになあ、サイクルが続いてほしいから」などと考えてしまったりすることも正直ある。

そして、「ああ、こんなこと考えたくないなー」と思ったりして、そこでそれ以上は考えない。人それぞれの楽しみ方やコストのかけ方があっていいのだ。絶対に。だって私だって、ほかの何かはライトに、あるいはノーコストに、つまみ食いしているんだから。

お互いさまってやつさ。


……と考えていて、それでいいはずなのですが、これがたまに逆に牙をむいてきたりすることがあって、これはもうじつに面食らう出来事ですよ。
共通の好きな作品について話していたのに、「そんなお金のかけかたしてるのには着いていけない」的な方向の、うっすら腰の引けた感じの反応が急に来ることがある。「すごいねー」って言ってくるやつ。

別にいいんですよ、こちとら礼儀礼節にのっとって、無理にでも着いてきてくれなんて絶対に頼みませんから、あなたはあなたで、ライトな楽しみ方で楽しんでいてどうぞ! 私とあなた、どうやら乗っかっているステップが違うので!
……と、そっと分断をはかってみるのですが、どうやらその手の人のさらに一部は、こちらの全力の(コストがかかった)喜びに魅力を感じているらしいことがあります

端的に言うと、おこぼれを欲しがるっていうか。

グッズを代行してくれとか、余ってたら(定価付近で)売ってくれとか、楽しそうなイベントには同行させてほしいみたいだったりとか。
音源コピーさせて、とかみたいなのもありますよね。


や、厳しいですね。連動購入特典*2の音源を聴かせてくれ、でもけっこう厳しいものですよ。こっちに目に見える、明示的な損がなくっても、やっぱりそれはフリーライダーじゃないですか。

ステップ1だけエンジョイしているノーコスト層に、ステップ3のものを手軽にねだられても、それには応えられないと思うんだ。


布教活動のためだったら、たとえばステップ2くらいのものをほぼノーコストでステップ1にいる誰かに提供してみたり、そんなこともありうると思うけれども、ステップ3のものはやっぱり、価値循環のサイクルのメインストリームを共有している誰かとでないと、分け合えないのだろうな、と思うのです。

お金を払う/払わないの軸ではなく、得られる喜び〈Value〉とのつり合いで考えていければいいなと、そんなふうに思った次第でした。

*1:「オタク」という表現は本当は正確ではないと思うが、そのほうが通りがいいのでそう書く。アニメや漫画、ゲームや声優、舞台その他が好きだと自認する層のこと

*2:こういう場合の連動購入というのは、だいたい合計で1万5千円を超えてくることが多い。

一日の区切りは午前◯時

あなたの一日の区切りは何時ですか?

や、一日の始まり、午前0時の話ではなく。今時のアプリゲームには、日付区切りの概念があるじゃありませんか。ある一日と、別の一日を区切る、その境目になる日付変更時刻は、もはや個々人によって異なるのではないかとちょっと思っています。

ざっと調べたところ、

という感じでした。しかし『白猫』の午後4時とは何なのか。しかも以前は午前2時だったり、午後3時だったりしたそうですよ、『白猫』。同じくコロプラの『魔法使いと黒猫のウィズ』は午前3時らしいので、別にコロプラで統一ってわけでもないんですね。

私は諸事情あってほぼ昼夜逆転型で過ごしており、午前4時や午前5時は通常まだ活動している時間帯ですから、(のんびりと暇なときは)深夜から日付区切りが連続で訪れる感覚があって、「あ、日が変わった」「また日が変わった」と思い立ってはぽちぽちとアプリにログインしつつ、こいつぁ現代的だなあ、としみじみする次第です。

もちろん、一般的には深夜帯には多くの方が寝ているわけで、午前3時だろうが午前4時だろうが、多くの方にはあんまり差はないのかもしれません。朝、起きた時には必ず日付が――カレンダーでも、アプリでも――変わっている、というのがマジョリティな感覚だと思いますが、でも午前5時区切りのアプリなんて、ちょっと早起きすれば「あっまだ前日!」なんてこともあるのでは。そう、それこそ、イベントで物販に並びたいから始発、なんて時とかね!

そんな感じで、今や一日の区切りは何度も何度もあるのが現代、というやつなんでしょうね。「あなたにとっての一日の区切りは何時?」なんて質問にも、もしかしたらハマっているアプリゲームの存在がちらっと見えるかも!

「それにしても」の使いやすさ

音声ドラマが好きです。気に入った音源は猛烈に――1トラックにつき合計で数時間ぐらい*1――リピートするので、台本丸暗記のレベルで耳になじんでいる場合もあります。

そんな音声ドラマの数ある台本の中で、特に女性向けシチュエーション音声ドラマで稀によくある言葉が「それにしても」です。

なんで「稀によくある」という表現を使うかというと、すごく使用する脚本家さんもいれば、ほとんど使っておられない脚本家さんもいるためで、出てくるトラックにはものすごく出てくるし、出てこない時には長らく耳にしないからなんですが、そうですねえ、天秤としては「よく使われる」のほうに傾くのではないでしょうか。


ところで、日常生活で「それにしても」って口にする機会ありますか? 私はほぼないです。なぜなら、大体の場合の「それにしても」は、前の話を受けているのに話題を転換もしてしまう、という、見ようによっては自己中心的な話法だからです。これを思い切りよく使えるのは、実はフィクションの会話ならではなのかもしれません。

いやそれにしても、音声ドラマCDって根強く制作されていますよね。乙女ゲームの特典では本当によくついてきますし……。

…………ぐらい、強引に話題を切り替えてしまえる強力なワードだと思うのです。


この強力なワード「それにしても」が、女性向けシチュエーション音声ドラマの台本に頻出する、というのが非常に興味深い。

シチュエーション系音声ドラマの特徴として

  • 表現形式が音しかない
    • 視覚的な説明はできない
    • 場面転換時には説明的な音や言葉が必要
  • 聞き手が作中の登場人物に同化しているとみなす場合が多い
    • 作中音声とは言葉での掛け合いができない
      • 作中の人物は、対話に参加している二人ぶんを一人で喋らなくてはならない

というあたりが関係しているような気がします。

作品としては話を展開させなければならないし、それでいて、その展開のための”転”は、聞き手が同調している人物からは出てきようがないので、作中に実際にいる誰かが常に自発しなければなりません。

そこで、話題を少し変えつつ進行させるために「それにしても」なのではないか、というわけです。音声ドラマ作品として成立させるために、キャラクターがひとくさり分のまとまりを語り終えたら、次のひとくさりにスムーズに進むために「それにしても」と話題を紡いでいく、というような。

……というようなことを思いついてから、音声ドラマで「それにしても」が出てくるたびにニコニコしています。それなりの頻度で耳にするんですよ、これがまた。特に登場人物が一人のものには登場しがちで、ますます興味深い。音声ドラマという媒体ならではの制約・事情が表れている要素として、たいへん好きです、「それにしても」。


……それにしても、私はちょっと音声ドラマを聴きすぎのような気がしますね。

ブログも、シチュエーション系音声ドラマも、相手からの明示的*2応答がない実質的一人語りという点は同じで、つまりこうしてブログの文章でも、「それにしても」は便利なんだな、と思う次第です。

*1:BGM不要のアプリ操作時や、移動中など、あらゆるタイミングで再生するので、見かけ上の可処分所得に対して過剰な合計時間ですよね。

*2:より正確には「同じ次元からの」でしょう。

音楽配信に歌詞データ(その他テキスト系情報)が含まれないからCDを買っている

最近は個人的ヒット作、古川慎「本日モ誠ニ晴天也」の試聴動画をよく流しています。

www.youtube.com

パッケージ版の発売が延期となってしまった本作ですが、実に気になるのはその歌詞です。真崎エリカさんの雰囲気たっぷりの作詞をしっかり堪能したいのに、歌詞の文字列が見られる見通しが立ちません。

アニメ『啄木鳥探偵處』(公式サイト)OPを観てみても歌詞の表示はなく、古川氏のムーディーな歌い方の影響もあって細部の発声、音の輪郭は決して明瞭くっきりというわけではないと思います*1。そこが良さでもあるのですが、私としてはやはり気になるポイントです。

音楽の聴き方はさまざまで、ちょっと前にTwitterで話題になった音楽に関する話の中では「ほとんど言葉は聴きとってないなあ」という方もいて、それはもちろんそれで非常に素敵な聴き方に違いない。そう自分でわかっていても、歌詞、その表記を満喫する派なので、やっぱり少々物足りない。

この試聴動画の2曲目「パトスのカタチ」の中に、「今《らしん》の情熱で」という個所があるんですけど、これが裸身なのか羅針なのかは大きな違いだと思うわけですよ…… たぶん裸身だと思うんですけど*2

もともとの発売日、5/13に配信は解禁してくれるそうですが、配信データでは歌詞の文字表記は見られないんだよな、と思うと、惜しくって惜しくって、ディスクパッケージの発売を待ちます、となってしまいがち。歌詞のみならず、作詞・作曲・編曲スタッフはもちろん、めちゃくちゃ愛するアーティストだとその他のスタッフクレジットもしっかり目を通していたりするので、音だけあればいい、ってわけにはいきません。なお、歌詞配信サイトは参考しつつも信用はしていません。誤変換とかがわりとしょっちゅうありますからね……

やはり、配信でブックレットのデータPDFも合わせて売ってくれないかなあ、というのが希望ですよね。もちろんそこでもお金取ってほしいですし、文字情報は見たい!

*1:冒頭の「こんにちは 五文字での」の時点で人によっては聞き取れないのでは……

*2:直後の「口火を切った刹那から」が唇に掛かり、子音でもKとSを使ってKissを掠めているところが素晴らしいと思います。頭韻を踏んで響きをまとめるテクニック、同音異義語を掛詞に多用する感覚など、音そのものにも繊細なアプローチがある方だと思っているので、すべて意図しているのかも?