「それにしても」の使いやすさ
音声ドラマが好きです。気に入った音源は猛烈に――1トラックにつき合計で数時間ぐらい*1――リピートするので、台本丸暗記のレベルで耳になじんでいる場合もあります。
そんな音声ドラマの数ある台本の中で、特に女性向けシチュエーション音声ドラマで稀によくある言葉が「それにしても」です。
なんで「稀によくある」という表現を使うかというと、すごく使用する脚本家さんもいれば、ほとんど使っておられない脚本家さんもいるためで、出てくるトラックにはものすごく出てくるし、出てこない時には長らく耳にしないからなんですが、そうですねえ、天秤としては「よく使われる」のほうに傾くのではないでしょうか。
ところで、日常生活で「それにしても」って口にする機会ありますか? 私はほぼないです。なぜなら、大体の場合の「それにしても」は、前の話を受けているのに話題を転換もしてしまう、という、見ようによっては自己中心的な話法だからです。これを思い切りよく使えるのは、実はフィクションの会話ならではなのかもしれません。
いやそれにしても、音声ドラマCDって根強く制作されていますよね。乙女ゲームの特典では本当によくついてきますし……。
…………ぐらい、強引に話題を切り替えてしまえる強力なワードだと思うのです。
この強力なワード「それにしても」が、女性向けシチュエーション音声ドラマの台本に頻出する、というのが非常に興味深い。
シチュエーション系音声ドラマの特徴として
- 表現形式が音しかない
- 視覚的な説明はできない
- 場面転換時には説明的な音や言葉が必要
- 聞き手が作中の登場人物に同化しているとみなす場合が多い
- 作中音声とは言葉での掛け合いができない
- 作中の人物は、対話に参加している二人ぶんを一人で喋らなくてはならない
- 作中音声とは言葉での掛け合いができない
というあたりが関係しているような気がします。
作品としては話を展開させなければならないし、それでいて、その展開のための”転”は、聞き手が同調している人物からは出てきようがないので、作中に実際にいる誰かが常に自発しなければなりません。
そこで、話題を少し変えつつ進行させるために「それにしても」なのではないか、というわけです。音声ドラマ作品として成立させるために、キャラクターがひとくさり分のまとまりを語り終えたら、次のひとくさりにスムーズに進むために「それにしても」と話題を紡いでいく、というような。
……というようなことを思いついてから、音声ドラマで「それにしても」が出てくるたびにニコニコしています。それなりの頻度で耳にするんですよ、これがまた。特に登場人物が一人のものには登場しがちで、ますます興味深い。音声ドラマという媒体ならではの制約・事情が表れている要素として、たいへん好きです、「それにしても」。
……それにしても、私はちょっと音声ドラマを聴きすぎのような気がしますね。
ブログも、シチュエーション系音声ドラマも、相手からの明示的*2応答がない実質的一人語りという点は同じで、つまりこうしてブログの文章でも、「それにしても」は便利なんだな、と思う次第です。