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『GRANBLUE FANTASY』のサンダルフォンにまんまと釣られた話、あるいは「感情が大きい」キャラクターを思い出す

まさかこんなお題で一気に書くとは思いませんでした。書きながら未だに戸惑っている。


鈴村健一氏の芝居は基本的にどれも興味深いというか、自分の中にある期待に応えてもらえる打率が著しく高いので、「演じるのが鈴村健一氏である」というだけでわりとチェックしています。

その中で最近出てきたのが、タイトルにある、『GRANBLUE FANTASY』のサンダルフォンです。

ちょうど今日始まったイベント、「失楽園〜どうして空は蒼いのか PartII」でようやくプレイアブルキャラクターとして参戦することになった人物……というのは後から調べて知ったことであって、実はそのPartIを私はプレイしていない。すいません、『グラブル』は完全にログインゲーでして、本当に全然やってなかったんですよ……

ただ、今回のイベントを通読するだけでも垣間見える大まかな流れとして、彼、サンダルフォンは、「Part I」においてはほとんど悪役のポジションというか、大災害の引き金を、災害と分かっていて自ら積極的に引いた、いわゆる「理知的なキレキャラ」であるらしいんですね。

そして、「Part II」開幕時点では、その騒動はいったん鎮圧されていて、サンダルフォンも行方知れず。ただ、ヒロインである蒼い髪の少女・ルリア(CV.東山奈央)は、サンダルフォンを完全な悪人だとはどうしても思えずにいる……という感じの導入から今回のイベントは始まる。そこに、サンダルフォンとかつて懇意であった*1天司長・ルシフェル(CV.櫻井孝宏)、そのルシフェルに忍び寄る黒衣の男(CV.????*2)、ルリアに声をかけてくる怪しげな男(CV.細谷佳正)あたりが物語を揺らしてくる存在として存在している。

それでですね…… この「失楽園」のストーリーをフルボイスで追っているとですね、このサンダルフォンがとにかく「感情が大きい」人物である、ということがよく分かってくる。

知ってる、この感覚は知ってる……そう、そうだ、『Fate』の間桐慎二だ!

※参考記事。この記事を読んだおかげで映画館に駆け込んだ
note.mu

間桐慎二衛宮士郎に向けるあの感情の巨大さを、ルシフェルに対してのサンダルフォンも持っている。
(以下ネタバレにつき、一応反転。サンダルフォンの反応のことしか書いてませんけど)
とにかくサンダルフォンは終始ルシフェルとの関係を問い続け、切り替えようとし続け、苦悩し、諦め、卑屈になり、心にもないようなうわべだけ利口なことを言ってはヒロインにその拗ね方を指摘されてキレ返し、キレた結果として引きこもりを脱したらそれも相手の悪意の産物であろうと嘯いてみせ、そのくせルシフェルの現状を知った途端に大いに取り乱し、かと言って自分が信用されていたと知れば逆ギレし、相手が変わらず清廉潔白・無私無欲であればもっと他に何かないのかと怒り、その「何か」をのぞかせた途端に今度は「嘘でしょう」とこぼし、事態が悪化するに至っては「始末をつけてくれ」というルシフェルの願いをもう生涯の誓いか何かのように魂の中心に据え、そのためならば死んでもいい、命も尽きよとばかりに全力をブッパしてしまう。(反転ここまで)

なんだこの人。面白いんですけども。

見事なのは、その「感情の大きさ」を鈴村氏が見事にドライブしていることなんですよ。とにかくこの「サンダルフォン」という人物たるや、隅から隅までめんどくさい、根暗で卑屈でこじらせていて、しかしそれは完全無欠の天司長・ルシフェルの存在があまりに自分の中で大きいことからくる、いわば崇敬のような情念*3に根ざしているので根本的には熱血にも似た忠誠心のような絶対遵守感というか、直向きを極めて視野狭窄のレベルにまで到達している猪突猛進さだったりとか、なんかもうこの人本当に面倒臭い!! そしてその面倒臭い精神性が声に表れている!! 「うわあ、うわあ」とつぶやきながら一気に最後までエピソードを追ってしまいました(さほど育ってなくてもイベントが走れる親切設計で、たいへんありがたかったです)。あ、ちょっとウルッとしました。


……何を言いたいかというと、こういうキャラ造形は極めてラウンド(立体的)な作りである、キャラクター類型でいうところの「ラウンド・キャラクター」であるわけですが、そんな複雑さを「見せなくてはならない」人物を預かり、しかもソーシャルゲームという短いシナリオの中で激しく*4ドリブンし、表現として十分達成している点がつくづくすごいと思うのですね。本当に、私は鈴村さんのこういう芝居の巧みさに触れるのが大好きです。

この逆側には細谷佳正氏が演じる謎の男ことベリアルがいて、このベリアルさんは基本的にどこで何をやっていても、性根は変わらないし、その表出の仕方もほぼ変わらない、いわばフラット(平面的)。この「フラット・キャラクター」としてベリアルはすばらしいコントロールの下にあり、それはそれで細谷氏の見事な仕事で、たいへんおいしゅうございました。


正直、鈴村さんがここまで「感情が大きい」キャラクターを演じているのはちょっと思い出す限りは記憶にない。というか、そもそもこの「感情が大きい」というのは「激情家」とはまたちょっと違うカテゴリなので、こういうカテゴリのキャラクター自体がそんなにいません。
特殊な執着、好意や敬意が反転し、変転し、違う形で表れてくるという点では『Wand of Fortune』シリーズのアルバロ・ガレイは共通するところがあるキャラクターかと思いますが、彼は自分の感情の巨大さを切り刻んでしまえる特殊能力を併せ持っているので、かのサンダルフォンのように支離滅裂にはなりません(難解なだけです)。


いやあー……私は『Fate』劇場版における神谷浩史氏の芝居の仕上がりに震え上がり、この芝居を聴くために映画館に行ったのではないかとすら思ったのですが、まさかまさか、『グラブル』で、鈴村さんで、ここまで「感情が大きい」キャラクターに出会えるとは…… 本当に嬉しいですよ。

今日は幸せです。こうして一気にブログを書いてしまうぐらい!
ありがとう『グラブル』! ありがとう鈴村さん!


……ところで、こういう「感情の大きい」キャラクターが『グラブル』には多数出てくるのでしょうか。だとしたら、シナリオゲームとして人気が出るのはとてもよくわかる。魅力的ですもんね。

*1:「懇意だった」だけでは済まない関係が彼らにはあるが、そこは伏せる

*2:小西克幸さんに聞こえますね。

*3:反転して劣等感だったり

*4:というか、短いからこそ激しくやらないとその立体感が立ち上がってこない。