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一部ブログエントリの非公開化のご報告と、「レポ」に対する方針について

みなさん、あけましておめでとうございます。2018年が皆様にとってよい年でありますよう、心よりお祈りいたしております。

さて、もうかなり時間があいてしまいましたが、先だって公開されました豊永利行さんのエントリを受けて、この記事を書くことになりました。
ameblo.jp

 端的に、現時点での私の方針を述べると、

  • 過去エントリは一時的に非公開(対応済)
  • 検証可能性が担保されたものについては、精査・正確性を再確認の上で再公開という段取りを踏む
    • ただし、精査のスケジュールはおそらくすぐには確保できないので、実質一定期間以上の非公開化

 ということになります。

 以降は、そこに至るまでの道筋の話です。でも……難しいですね。できるだけ正確を期して書いていきたいですが、どうしても長くなります。ご興味がおありの方だけどうぞ。


 まず、上記のエントリの解釈を整理したいと思います。当該エントリの主題は「イベントの『レポ』は望ましくない」であり、その根拠は以下の通りだと読み取りました(以下、エントリからの引用)

  1. あとでメディア化するものはネタバレになるから
    1. 文面に起こされても、その面白さが伝わらない
    2. 場合によってはマイナスイメージになりかねない書かれ方をする事も
    3. 「レポがあるから行かなくてもいいか」にもなりかねない
  2. そのレポに書いてある事に齟齬が多い
  3. メディア化しないからこそメディアでは出来ないトークをした

 そして、「事実の羅列である『レポ』ではなく、そこから感じ取った『感想』であれば歓迎である」とも。

 以上の内容は、主に「イベント全般」について述べられていると解釈できると思います。一方、このブログでは基本的に「AD-LIVE」を中心に扱いますので、そのぶん、一定の"あてはめ"を行いながら受け止めてもよいと思います。

 上記のリストをさらにまとめなおすと、上から順に「価値の毀損」「正確性の欠如」「コンテクストの断絶」となりそうです。以上の3観点について、それぞれコメントしたいと思います。

 まず、分かりやすい「正確性の欠如」から。

正確性の欠如について

 豊永さんのおっしゃる通りで、記憶は間違えるし、混濁するものです。また、文章力の点からも、いつでも完璧に「事実を正確に写し取った表現」で書くことができるか、というのも、怪しいものだと考えています*1
 私も、各エントリの最初に「即興で書いている」「記憶違いはあるので割り引いてほしい」というお断りを毎回書いているくらいです。
 とはいえ、あらためて考えてみれば、既にDVD・Blu-rayが発売されたものに関しては映像がいくらでも観られるわけですから、検証を行わないのは単なるサボりなのかもしれません。特に、AD-LIVE2016に関するエントリについては映像と照らし合わせてみて、記述を見直したりしたほうが良いんでしょう。

 ……問題はそのためにかかる時間なんですけどね。

コンテクストの断絶について

「メディア化しないからこそメディアでは出来ないトークをした」の部分にあたります。ここではやや広くとらえ、「抜粋による印象操作」「言われたくない・書かれたくないことを書かれる」を含んで考えたいと思います。

 140字制限*2のあるTwitterで特によく見られる傾向として、「ごく一部、ないしはほんの一場面を切り取ったものがリツイート・「いいね」表示などでものすごく拡散される」という状況があるように感じます。拡散力があり、それでいて文脈から断絶されたキャッチーな言説が、まさに暴風のように広がっていくような。
 さらに、このように抜粋される場面の多くは、やや尖っていたり、羽目を外していたりする瞬間であるような印象があります。
 出演者からすれば「そこは抜粋されたくなかった……」となりそうな個所こそ、ファンの方にとっては面白く、どんどん拡散したくなる(ことが多い)のが厄介なところです。

 この点についての私の対策は……正直、「気をつけています」の一言になってしまいます。気持ちの問題じゃないかと言われればその通りなのですが、これはとても重要なことです。
 例えば、私がAD-LIVEについて発言・文章化する時には、「出演者がアドリブワードを誤読した・漢字が読めなかった」という話題は基本的に登場しません。*3
 同様に、たとえ公式サイトや公式グッズその他の誤植を発見したとしても、このブログやTwitterには書かないと思います。

 情報は、その質や意味合いによって適切な扱い方が異なります。イベント内・Twitter・ブログ記事など、場所によっても書かれ方は変わるべきです。私はかなり自覚的かつ厳格にそれをコントロールしているつもりですし、そのコントロール精度もそれほどは悪くないと自己評価しています。
 とはいえ、もちろんそれは私個人の独りよがりな考え・うぬぼれた自己評価であって、外側からの指摘を受けられるようにしておくべきだと思いました。従って、今回のことを機に、メールフォームを設置することにしました。既にブログヘッダに追記済みです。
 エントリないしはその中の文章についての削除・変更要請があれば受け付けられるようにしておくことで、対策としたいと思います。

価値の毀損について

 ……この項目に来てしまった……少々憂鬱ですが、書いていきます。

 豊永さんの説明はこのようになっています。

  1. 起きたことを網羅的に羅列することは『ネタバレ』である
  2. ネタバレを見ることによってイベントに行く必要がなくなる(と考える人がいる)
  3. パッケージの購入、および次回イベントの売上にマイナスの影響が出る

 ここで、ある例え話をさせてください。あるサッカーの試合でスーパープレイが生まれたとします。それを、情熱的な筆致で描き出したレポが公開されたとします。例えば……

 これほど鮮やかなノートラップボレーは過去数十年のリーグ戦を振り返ってもついぞ無く――そして今後数年は見られないだろうという確信がある。
 こぼれた球に右足が触れた時から、プロスト(MF)にはその後10秒の未来が見えていたのだろうか。1タッチ、2タッチでミハエル(DF)をかわして右サイドを鮮やかに駆け上がり、3タッチ目の右キックでサイドチェンジ。逆サイドでトラップしたミカ(FW)の素早いノールックパスは、DFの隙間を縫って駆け込んだアロンソ(FW)の足元に吸い込まれた。
 飛び出していたピケ(GK)の逆コーナーを射抜くランニングボレーがネットを揺らし、サポーターたちが貴重な一点を得た歓喜を爆発させる。だが、大歓声がスタジアムを埋め尽くす、そのほんの一瞬前、観客席は確かに静まり返っていた。たった10秒の間に行われた技の冴えに目を奪われ、誰もが息を呑んでいたのだ。

 …………出来はまあ……さておいていただけますか……
 例えばこういうレポ*4が――それも『良い』レポが公開されたとして、試合を観戦しないままに『良い』レポを読んだ人が思うことは、「その場面の映像がぜひ観たい!」であろう、と私は思います。
 優れたレポには、本物を観たいと思わせる力があります。むしろ、事実を鮮やかに描写し、あるいはその筆者ならではの視点を追加し、読者をまだ知らぬ本物へと向かわせること、あるいは一度観た本物を再度、より深く楽しませることこそが、優れたレポの生み出す価値のはずです。

 さて、私が当ブログにおいて主に取り組んでいる「AD-LIVE」は、その性質上、再演可能性は完全にゼロです*5。リアルタイム性も極めて高いパフォーマンスであり、また、一定のルールの下に公演され、舞台に関わる人々は皆、自分の技を惜しみなく出し尽くします。使用している技能こそ「演技」「発声」が中心ですが、その実質はスポーツの試合に似ているところがあります。
 生み出される物語――ストーリーはもちろん重要です。ですが、AD-LIVEにおいてはストーリーは断じて「すべて」ではない。演者のみならず、音楽、照明、大道具や小道具さえも、その場の瞬間、瞬間すべてが技であり、判断であり、観客を魅了するコンテンツそのものです。

 以上の考えから、私自身としては、このブログのエントリは単体でAD-LIVEの各公演の価値を激しく毀損するものではなく、さらに、パッケージ購入のモチベーションに対してのマイナスの影響も大きくない、と考えていました。
 むしろ、願わくばこのエントリが「再見」のためのパッケージ購入に結びつけば良いという思いのもと、過剰なくらい強く踏み込んで述べようとしているぐらいです。
 私が気づいたり見つけたりして「すごい!!」「面白い!!」と感じたあれこれは、どうやら誰もがみんな気づくことではないらしいので、ならばそれを大いに語り、「AD-LIVEってもっとこんなに面白い」と思ってもらうきっかけにはできないか、と。

 アンコールビューイングに必ず間に合うようにエントリに起こしてきたのもそういう狙いがあってのことです。チャンスがまだ残っているタイミングで「観たい!」と思ってもらいたいし、その時にはすぐに実際に観てもらえるよう、必ず当日までに公開にこぎつけています*6

 もうちょっと率直に言ってしまうと、劇場にもライブビューイングにも行かず、私のエントリを読んで「これで『AD-LIVE』は観なくていいや」と考えるような方は、そもそも『AD-LIVE』に対して熱く――厚く支払いをする層ではない、とも思っています……。

 このご時世、一過性のエンターテインメントは限りなく「ぜいたく」のカテゴリに近づいています。1回のイベント、公演、1枚の映像パッケージについている8000円という価格は、ただ数字上の8000円ではありません。
 お小遣いをやりくりする方にとっては、ほかにも多くの欲しいものがある中でも決して小さくない額でしょうし、働いている方にとっては、日々の時間、日々の労苦と引き換えられていく金銭でしょう。
 だからこそ、支払った8000円の“実質の価値”、金銭と引き換えに得た時間や体験を、どれだけ深く、濃密に楽しめるか、という視点があるのだと思います。お金を払って得たものだから思いっきり楽しみたいし、そうやって楽しんで“実質の価値”が高まれば高まっただけ、額面上の「価格」は安いと感じられるようになるでしょうから。

 他方、ここまでの話はあくまで「AD-LIVE」という一例に限った話でもあります。
 例えばトークショーなどであれば、トーク=発言はそのまま、披露されたパフォーマンスそのものにかなり近しいでしょうし、優れたレポ=音声起こしは、そのメインコンテンツを代替しかねないと思います。質の良い対談記事がその場の雰囲気や本人の口ぶりまでも伝えるように、あまりにも詳しいレポは、コンテンツそのものをつぶしてしまいかねません。その場合はもちろん詳細なレポートは控えるべきでしょう。
 私もAD-LIVEでなければ――あるいは確実に映像パッケージとして発売されるのであれば、営業妨害になりかねないレポは控えるつもりです。


 以上となります。あまりに長くなりました。
 ぐだぐだと書き連ねましたけど、結局、すべては権利者の判断に従って行われるのに違いない、というのもまたひとつの事実かなあ……とも思っています。権利者からのお沙汰がないうちは、見つかっていないか黙認されているもの、と勝手に解釈しつつ、窓口だけはちゃんと用意しつつ、粛々と振る舞うことにいたします。
 もちろん、「公開しないでくれ」という正式な連絡があったなら、その時はすっぱりと引っこめます。

 最後になりましたが、今まで、当ブログのエントリを楽しく読んでくださっていた方がいらしたのでしたら、御礼を申し上げると共に、突然の非公開化をお詫び申し上げます。随時、時間が許す範囲で映像記録の再検証を行い、ブラッシュアップして再公開に到れたら……と考えておりますので、その折にはどうぞよろしくお願いいたします。

*1:これは実はプロのライターであっても同様で、「隅から隅までひとつもミスなく完全な文章を、最速かつ一発で書き上げる」なんて、誰にでもできることではありません。

*2:最近、英字に限り280字制限になりましたね。

*3:その誤読自体が流れを成立させ、組み込まれた場合は例外です。

*4:当然フィクションです。選手名の元ネタは、分かる方だけ分かってください。

*5:公演記録からリバースエンジニアリング的に脚本を書き起こしたとしても、アドリブワードというランダムを踏まえての再演には至れないからです。

*6:こんなこと書くのも野暮な話ですが、毎回のエントリを仕上げるのにはそれなりに時間がかかります。楽々と間に合わせているわけではないのです……