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コミックマーケット、C90が無事終了という話、そしてC91へ続く、続き続ける

一部の私たちは時々忘れそうになるけれど、コミックマーケットとは二次創作の場ではないのだった。

コミックマーケットの理念

コミックマーケットは同人誌を中心として
すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした
表現の可能性を拡げる為の「場」である -コミケットマニュアルより引用-

今回、3日目に東4ホールで頒布されていた「量子コンピュータ手習い」に出会い、サイモン・シン『暗号解読』を再読していたというタイムリーさもあって、購入させていただいたのだけれど、この本はどう考えても二次創作ではない。

LaTeXで書かれたのだろうか、という組版のそれをぺらぺらとめくりながら、まだ内容を読み下すところまでは辿り着いておらず、ただ、通読までの時間をたっぷりと取っていいのだという、所有の贅沢さを堪能している。"入手"の意味は、ある意味ではタイムシフトにある。


閑話休題コミックマーケットはついにその開催90回を数え――コミケットスペシャルを加えればもう数回ほど回数は多いが――、つまり、順当にいけばあと5年後、2021年の夏にC100を迎える。

そして、その「順当にいけば」というところに、コミックマーケット準備会は挑み続けている。上述の「コミケットマニュアル」には、「場の継続に向けた意志」という項が独立で設けられており、彼らにとって、"継続"はそれほどまでに重い、最上位のものであるのだ。



コミケ終了直後には、はてなブックマークにもコミケ関連の記事がよく上がってくる。コスプレ、企業ブースは言うに及ばず、話題のサークル、スタッフの名言、トラブルの数々。かつてはローアングラー、今回はダミーサークルと徹夜組。

多くの人がそれぞれにそれぞれの立場で希望を述べていて、そのそれぞれに、私としても思うところがあるのだけれども、それに対処しなければならないコミックマーケット準備会は、まずは場の継続を最優先にし、コミックマーケットが中止になりうるリスクを絶対に取らない。

きっと、中止にするぐらいなら、縮小してでも開催するのだろう。

だから安心していい、というのも変だけれども、「次回のコミックマーケットは~」という文言は、コミックマーケットの理念に直結していて、だから、「コミケがなくなるかも」という想いを抱くときがくるならば、それは安易なものには決してなりえないだろう。


かつて、コミックマーケットはその代表を二度交代している。特に二度目の代表交代については、故・松智洋氏による『代表交代について・代表が代わった日』に詳しい。米沢代表――ここではもう米やんと書いてしまうけれど、つまるところ、コミックマーケットは米やんとともに滅ぶことを断固として拒否し、準備会を共同代表に委ねることで、自らの寿命を延ばした。

組織には生物学的な意味での寿命はない。組織は――「場」は、担い手がいなくなった時にこそ滅ぶ。


私は、コミックマーケットがずっと継続することを願っている。もちろん、表現の場として。

だから、自分がまだここにあるうちはその担い手でありたいし、自分の手からそれがこぼれ落ちていく時には、誰かに託せるようでありたいとも思う。


組織のタイムシフトだ。


そんなわけで、C90、おつかれさまでした。年末のC91に向けて、またしても続くとしましょうか。